第87回 「マンスリー形態マガジン」 2018年7月号

『世界遺産マチュ・ピチュ、そこに日本人がいた』

   南米ペルーの世界遺産(1983年12月9日登録)マチュピチュ遺跡のマチュピチュ村で、生涯を捧げた日本人「野内与吉」氏のお話です。最近、テレビで紹介され知ることになりました。マチュ・ピチュはケチュア語で“年老いた峰”を意味し、“年若い峰”を意味するワイナ・ピチュへと連なる尾根の部分に都市が建設されたそうで、この都市遺跡は1911年(Bingham.米国)に発見されました。
  15世紀のインカ帝国の遺跡とされ、栄えたアンデス文明は文字をもたなかったといわれ、未だに解明されていないことが多く、世界七不思議の1つとされています。
  野内与吉氏は1895年福島県安達郡の裕福な農家に生まれるも、海外で成功したい夢を抱き、1917年(21歳)契約移民としてペルーに渡りました。しかし、契約内容と現地の状況は異なり、1年で辞め、米国やブラジル、ボリビアなどを放浪します。1923年ペルーに戻り、ペルー国鉄クスコ-サンタ・アナ線に勤務し、電車の運転や線路工事に携わりました。1929年、クスコ(インカ帝国の首都)~マチュ・ピチュ区間の線路が完成しました。与吉氏は、前年に現地の女性と結婚しマチュ・ピチュに住み二男二女に恵まれます。手先の器用であった与吉氏はマチュ・ピチュ村に川から水を引いて畑を耕し、水力発電を作り村に電気をもたらしました。また機械修理や創意工夫に富み、労をいとわずマチュ・ピチュ村のために尽くされたようです。
  1935年にこの村で初めての木造建築の「ホテル・ノウチ」を建築しました。3回建ての21部屋、1階は村の郵便局や交番に2階は村長室や裁判所などに提供し、マチュ・ピチュ村は発展したそうです。村人に信頼され人望を集め、1939~1941年には村の最高責任者である行政官を務めました。その後、前妻と別れた与吉氏は再婚し、5人の子供に恵まれたそうです。1947年、村の川が氾濫し土砂災害に見舞われた際、地方政府の命令で、復興のため1948年与吉氏はマチュ・ピチュ村の村長に任命されました。
  与吉氏は、すでにマチュ・ピチュ遺跡の情報を先取りし、世界に広めるためにクスコから鉄道を引き、ホテルまで創設させていたと言われ、先見の明があったことになります。現地では今も“ノウチ”氏の名前は継承されています。1968年、郷里の福島へ52年ぶりに帰郷するも両親はすでに他界、地元の新聞やラジオ番組に出演し、肉声は今も残っているそうです。日本へ戻るよう家族は説得するも、ペルーに残した子供たちが気がかりになりクスコに戻り、その2ヶ月後の1969年8月29日に永眠されました。
  孫の一人である日系三世の野内セサル良郎氏は、祖父の存在やペルーの魅力を伝えるため「日本マチュピチュ協会」 を設立し、日本とペルーの架け橋になって頑張っておられます。2017年5月「野内与吉資料館」完成のあと、2018年3月12日福島県大玉村に「野内与吉資料館」が新装オープンされました。
  日本からペルーまで約16,000キロの神秘の世界遺産に日本人が関わっていたことを誇りに思います。

(参考資料:日本マチュピチュ協会HPおよび関連記事)

形態マガジン号キャプテン 阿南 建一 


著作権について

今回のねらい

  今回は血液像の観察でマイナーな細胞に焦点をあててみました。
そのなかに鑑別する細胞も含め提示しました。
症例編は、わずかな臨床像と検査データから次なる検査を模索し、末梢血および骨髄像から臨床診断を試みて下さい。

問題

末梢血液像の細胞同定を行なって下さい。

1-1<設問1>

  • BM-MG×1000

  • BM-MG×1000

  • BM-MG×1000

  • BM-MG×1000

  • BM-MG×1000

  • BM-MG×1000

光顕的所見から臨床診断を考えて下さい。

2-1<設問1>

【所見】
【60-65歳.男性】
【主訴】 発熱・皮膚出血 [末梢血-MG/PO,骨髄-MG] 【検査】 WBC126,000/μL、RBC356万/μL、Hb11.3g/dL、Ht35.4%、PLT3.4万/μL、NCC85.0万/μL

  • PB-MG×1000

  • PB-PO×1000

  • BM-MG×1000

  • BM-MG×1000

解答・解説

問題 1

   末梢血液像の細胞同定を行なって下さい。

【解説】

 






末梢血液像ではマイナーである単球を中心に提示しました。単球系の分化・成熟過程は単芽球、前単球、単球の三段階しかありませんが、同定に苦しむことが多々あります。末梢血における鑑別のポイントは、最も大型(13~21μm)で、核形不整を認め、核網工(クロマチン網工)は繊細で、灰青色の細胞質には微細なアズール顆粒が充満し、空胞を有することです。今回提示の単球は通常の形状を呈していないことを念頭におき同定してみて下さい。

【正答】
A-空胞の著明な単球  B-核分葉傾向の単球  C-巨大化過分葉核の好中球  D-過分葉核の単球  E-桿状核の単球   F-活性化単球

【解説】
A-1.核中心への切れ込み、粗剛な核網工、大型な空胞、微細顆粒の不均一分布がみられます。通常に比べると粗剛な核網工と大型な空胞が合致しませんが、重症感染症などではよくみられる所見です。

B-1.核糸が明瞭で核分葉を起した単球と思われます。好中球に類似しますが、クロマチンの結節は弱く、細胞質は灰青色で、C.の過分葉核の好中球とは異なるようです。化学療法中にみられたものです。

C-1.大型の核は七分節のようで、クロマチン結節が強く、好酸性の細胞質にはやや太めの二次顆粒(中毒性顆粒?)が出現しているようです。単球大の巨大化過分葉核の好中球として捉え、化学療法中にみられたものです。

D-1.過分葉核の好中球(C)に類似していますが、核網工は繊細で細胞質は突起を有し、顆粒が微細であることが異なり、過分葉核の単球として捉えます。本例も化学療法中にみられたものです。

E-1.核は桿状で桿状核好中球に類似していますが、核網工は繊細で灰青色の細胞質には空胞がみられることから桿状核の単球と同定しました。

F-1.単球でもよいと思われますが、通常は核が中心性で、細胞質の割には核は小さく、細胞質は少々好塩基性に富み、空胞が顕著にみられます。本細胞の核はやや偏在傾向ですが、このような形態は単球というより活性した単球(活性化単球)として捉え、異物に対する戦闘状態がうかがえそうです。単球は血流中で約1~3日間循環した後、組織へ移動しマクロファージや樹状細胞に分化すると言われます。



問題 2

   60-65歳.男性。発熱と皮膚出血を主訴として来院されました。来院時の検査データでは貧血、血小板数減少、白血球数の著増が特徴で、DIC所見もみられました。

【解説】

(PB-MG×1000)

(PB-PO×1000)

(BM-MG×1000)

(BM-MG×1000)


【末梢血】

(A)白血球数著増(126,000/μL)のなか芽球は98%でした。それらは、N/C比が低からやや高く、核網工は繊細で明瞭な核小体がみられ、一部に顆粒を有するものもみられました。
(B)PO染色は芽球の80%が陽性でした。

【骨髄】
(C)(D)過形成の骨髄は芽球が88%と増加していました。それらは、N/C比が低く、核網工(クロマチン網工)が繊細で核小体が明瞭、豊富な細胞質には微細なアズール顆粒を有する芽球が多くみられます。アウエル小体は不明のようでした。PO染色の提示はありませでしたが多くの芽球が陽性でした。芽球の割合は算定によっては90%を超えることもありました。

【免疫形質】
CD13・CD33・34・HLA-DR(+)

【染色体/遺伝子】
46,XY/遺伝子異常なし

【臨床診断】
芽球は末梢血で98%、骨髄で88%と増加し、PO反応陽性と表現型からAMLとして診断されました。病型分類ではM1(未分化型)、M2(分化型)に迷いましたが、芽球の顆粒は前骨髄球のそれより微細であり、“顆粒を有する芽球”として捉え、しかも骨髄で90%付近に増加していることからM1に診断しました。ただ、顆粒を有する芽球の比率が高いことから分化傾向にあることが考えられます。また、本例はPO染色の陽性率が高く、未分化型にしては高すぎるようでもあり、典型的なM1ではなさそうです(非典型型M2?)。顆粒が豊富でDIC所見を考慮するとM3との鑑別も重要になりますが、M3ではファゴット細胞(束状のアウエル小体)の存在、また15;17転座やPML-RARA遺伝子が証明されることで区別されます。くどいようですが、本例は芽球の判定を数量的または質的(形態)異常のどちらを優先するかによって病型分類は変わりそうです。



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