明けましておめでとうございます。
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本年の第1回目は、夏目漱石を誕生させたと言っても過言でない重見周吉先生を紹介します。重見周吉は輝かしい業績を持ちながらも無名の人です。
重見は1865年(慶応元年)11月22日、愛媛県今治志の商家に生まれ、8人兄弟姉妹の6番目になります。
地元の小・中学校卒業後、1878年(明治11年)19歳で渡米(私費留学)し、1888年(明治21年)米国エール大学理学部を卒業後学位を受けると同大学医学部へ入校しました。1889年、重見24才のとき、学資を得る目的で米国にて日本の平民の文化と生活を紹介した自伝的エッセー「A Japanese Boy by himself」、邦題「日本少年」を出版し、西欧人にとっておとぎ話の国であった日本のイメージを大きく塗り替えたと言われます。
1891年(明治24年)6月、エール大学医学部を卒業し医学博士の学位を得て同年11月帰朝し、1893年(明治26年)、学習院の英語教師として採用されました。折しも、後の文豪・夏目漱石も学習院の採用試験を受けたそうですが不採用になっています。漱石(当時.金之助)は帝国大学文科大学を卒業後大学院に入る一方、最初の就職活動として学習院を応募したことになりますが、漱石にとってここがターニングポイントであったと思われます。もし学習院に漱石が採用され、松山中学に赴任しなかったら、日本文学の歴史は変わっていたかも知れません。
重見は学習院採用に先立ち3年間は慈恵会医科大学(現.東京慈恵会医科大学)で教鞭をとっています。留学で培った英語力を慈恵医学校および学習院教授職で発揮しますが、学習院教授職をめぐっては期せずして夏目金之助の進路に端緒的に関与する格好となり、結果的に夏目漱石に重要な方向性を与えた人物であったと言えるでしょう。
[資料]奥村紀子:漱石のライバル重見周吉と『日本少年』.2005
形態マガジン号キャプテン 阿南 建一
今回は、骨髄の細胞同定と形態診断に挑みます。
細胞同定は骨髄の非造血細胞に類似する造血細胞を提示しました。類似細胞については鑑別のポイントを述べて下さい。
症例編は、血算値のみから三症例の形態診断を行なって下さい。
三例とも特徴ある形態像を呈していますのでその特徴をしっかり捉えて鑑別診断を試みて下さい。
骨髄の細胞同定を行なって下さい。
BM-MG×1000
BM-MG×1000
BM-MG×1000
BM-MG×1000
BM-MG×1000
BM-MG×1000
骨髄のMG染色からA、B、Cの形態診断を行なって下さい。
BM-MG×400
BM-MG×1000
BM-MG×400
BM-MG×1000
BM-MG×400
BM-MG×1000
問題 1
(正解と解説)
骨髄の類似細胞を提示しましたので、鑑別ポイントを明確にして同定を試みて下さい。非造血細胞と造血細胞の特徴を掴みましょう。A~Dが非造血細胞で、E~Fが造血細胞です。細胞の大きさはA~Eが約30μm大で、Fが約25μm大です。
【正答】
(Case A) 細網細胞
(Case B) 形質細胞
(Case C) 造骨細胞
(Case D) 細網細胞
(Case E) 巨核芽球
(Case F) 骨髄芽球
【解説】
問題 2
白血球数の増加に伴い、骨髄にて顆粒球系細胞に形態変化を来した症例です。三例とも白血球数の増加例と顆粒球系細胞が優位であることが共通所見です。
【解説】
(PB-MG×1000)
(BM-MG×400)
(BM-MG×1000)
(LN-MG×1000)
(LN-MG×1000)
(LN-MG×1000)
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