前 略
1968年3月、名古屋保健衛生短期大学(現 藤田保健衛生大学)の1期生として巣立った私の履歴を振り返ってみますと、退職まで7回の病院勤務を経験したことになります。
病院の機能や規模に大小はありましたが、特色のある施設ばかりで、私の感じたことをシリーズにまとめ少し振り返ってみたいと思います。
1968年4月、衛生検査技師としてスタートはしたものの将来の方向は定まらず、不安の日々を過ごしたのが福岡県久留米市にある古賀病院検査室の勤務でした。しかし、院長、事務長をはじめ職員の温かいふれあいによってそれは払拭され、何よりも民間の病院における経営方針や患者さんの接遇など数多くのことを学び、厳しさのなかにも実に“アットホーム”的な印象を強く感じました。それはその後の国立病院での勤務に大いに活かされることになります。
1975年12月、国立大阪病院血液検査室に採用され公務員としてスタートをきることになりました。
その時代、天下の大阪病院といわれるほど、強力なスタッフとその業績は目をひくものばかりで、“ルーチンは5時まで、リサーチは5時から‥“(私語)と言わんばかりにお互いがライバルとして戦う姿は「戦国大阪の乱」そのものでした。特に毎朝行われる血液検査室の抄読会は、和文、英文の輪読会、症例の検討など、私には苦しい日々でしたが、今日の大きな基盤になりました。
そして、29歳にして初めての学会発表を経験することになります(後便で紹介します)。
この時代、すでに4年生卒を目指す動きがあり、某大学の二部に入学した技師もみられ、私も大阪に骨を埋めるつもりでおりましたが、国立が抱える転勤システムに乗せられ、2年の大阪生活から1978年4月、京都府の国立舞鶴病院血液検査室へしぶしぶ出向することになります。
国立舞鶴病院は2年間の約束と主任という肩書を戴きましたが、結局1年半にして祖国九州へ異例の人事異動となります。この続きは次回に‥。
草々
形態マガジン号キャプテン 阿南 建一
大好きな野球に目覚めた頃
愛称「ケンちゃん」
今回は末梢血液像および骨髄像の細胞同定と診断に挑みます。
細胞同定には共に正常なものから見逃してはいけないものを提示してみました。
症例には同様の貧血症を提示しましたが、赤血球形態が異なることが意味するものは何か、そして必要な検査は何か、はたまた鑑別を要する貧血症は何かを考察していただきます。
末梢血液像の細胞同定をリストより選んで下さい。
骨髄像の細胞同定をリストより選択して下さい。
貧血症の二症例から設問にお答え下さい。
【症例1】45歳.女性 RBC 385万/μL、Hb 9.5g/dL、Ht 31.5%、WBC 4800/μL、PLT 32.4万/μL
【症例2】14歳.女児 RBC 318万/μL、Hb 4.9g/dL、Ht 17.1%、WBC 4100/μL、PLT 40.2万/μL
同様の貧血症と診断されましたが、末梢血液像の形態像を下記に示します。
問題 1
(正解と解説)
末梢血液像の細胞同定です。ここでは、リンパ球と単球の鑑別を出題しました。
【正解】
1-②.リンパ球、2-②.リンパ球
【解説】
問題 2
(正解と解説)
骨髄像の細胞同定です。赤芽球を中心としたものを出題しました。赤芽球は分化・成熟に伴い細胞質の色調によって命名されているようですので、成熟に伴う核とのコンビネーションを図りながら分類することになります。そのなかで、DNA合成障害によって核のみの発育が遅れることが生じますが、これが巨赤芽球の出現になるわけです。
【正解】
(CASE A) 1-⑥.リンパ球、2-④.正染性赤芽球、3-②.好塩基性赤芽球 (CASE B) 1-③.多染色性赤芽球、2-④.正染性赤芽球、3-⑤.巨赤芽球
【解説】
問題 3
【正解と解説】
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